「メメント・モリ」
—人生最後の日から逆算する生き方
皆さん、「メメント・モリ」という言葉をご存じでしょうか。ラテン語で 『死を忘れるな』 という意味です。なんだか硬くて怖そうですが、要するにこういうことです——今日という日は二度と戻らない。
高級バッグをなくしても、明日死ぬかもしれないんだから、封を切って使っちゃえって話です。未来は保証されていません。
親と過ごす時間は実は意外と少ない
ちょっと衝撃的な計算をしてみましょう。
- 年間で親に会えるのはお正月とお盆の6日間
- 一日あたり親と一緒にいる時間を11時間とすると…
- 親が60歳から80歳まで生きるとして、親と一緒にいられる時間はわずか1320時間
- 日数に換算すると…55日!
つまり、親と過ごせる時間は衝撃の余命2か月分。
「また今度話そう」なんて言っている場合じゃないのです。ありがとう、ごめんなさい、愛しています――言わなかったら後悔する日が必ず来ます。
人生は制限があってこそ面白い
考えてみてください。サッカーは手を使わないから面白いし、マラソンは車を使わないから感動します。もし制限がなければ、全てが当たり前になって退屈になってしまう。人生も同じです。
「いつでもできる」と思っていることほど、やらないまま終わる可能性が高いのです。坂本龍馬も言っています。
「なんでも思い切ってやってみろよ。どっちに転んだって、人間、野辺の石ころと一緒。最後は骨となって、一生終えるのだから。」
なるほど、最後はみんな骨です。高級バッグやスマホも、最終的には「野辺の石ころ」と同じ扱い。だから思い切って楽しむべきなのです。
今日が人生最後の日なら何をしますか?
これはシンプルだけど強烈な質問です。
もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることを本当にやりますか?
- 違う…なら、ちょっと生き方を見直す
- 「やっぱりこれでいい」なら、迷わず全力でやる
人生最後の日の視点で考えると、すべての悩みは懐かしい思い出になります。つまり、日々の小さな悩みは人生全体のスパイスくらいに思えます。
夢を叶える一歩一歩の大切さ
なりたい自分を思い描き、今日の一歩を丁寧に歩むこと。
尊敬する人や憧れの人から浮上するキーワードや共通点の中に、自分がやるべきことのヒントが隠れています。
そして何より大事なのは、何によって覚えられたいかを決めること。それがあなたの人生の羅針盤になります。
今日という日を最後の日だと思って生きる
最後に、ちょっとしたユーモアを交えて。
もし今日が人生最後の日なら、高級バッグの封を切らずに後悔しますか? いいえ、開けます。
もし今日が最後なら、言いたいことを言わずに後悔しますか? いいえ、全部言います。
人生最後の日のつもりで生きると、日々が格段に丁寧になり、後悔も減ります。人生は短い野辺の石ころです。思い切って転がってみましょう。
【参考本】
あした死ぬかもよ? 著:ひすいこうたろう